忍者ブログ

歩くんですの箱 SS置き場

躍動感を表現するにはどうすればいいんだろう……と日々考え中。

【ラブライブSS】花陽「スワンプマン」 第六章

第六章 (第五章の続きです)


話は冒頭に戻る。
わたしはこれまで起こったことをゆっくりと頭の中で振り返りながら、目の前に座る校長先生の口元をぼんやりと見つめていた。
校長先生は、校長室の大きな椅子にどっかりと腰掛け、高慢な口調で一方的に話し続けていた。

こうなった経緯はごく単純だ。
久しぶりに学校に登校すると、わたしは早々に担任の先生に呼び止められ、そのまま校長室に連れて行かれたのだ。

「話は以上だ。事実上、君に選択権はない。分かっているね?」

校長先生は、もったいぶった身振りで眼鏡のつるを持ち上げながら、いかにも尊大な態度でそう言った。

スクールアイドルユニットA-RISEはUTX学院のイメージ戦略において極めて重要な役割を果たしていた。
綺羅ツバサのイメージダウンが学校経営にマイナスな影響を与えることは間違いない。
だけど、今はまだ、ツバサさんとわたしの噂は学校の外にまでは広がっていない。
わたしがここに呼び出されたのは、問題が外部にまで広がり、鳥沙汰される前に問題の種を摘み取っておこうと学校側が措置を講じた結果だった。

結論から言うと、退学を宣告されたのだ。

名目上はわたしの私的な理由で自主退学という手続きが取られるけど、実質強制と何ら変わりなかった。
このまま学校にとどまっても、わたしの居場所はいよいよ無くなるだけだ。

わたしは、その場で書類による同意をさせられた。
保護者との手続きも今日中には済ませるとのことだ。




梅雨の合間の晴れ空の下、もう二度と登校することのない学校を後にして、わたしは淡々と秋葉原の街を歩いている。
わたしの心はこの空のように澄み渡っているんだろうか、それとも『あの日』のように暗く、冷たい雨が降っているんだろうか、今のわたしには分からない。

学校を辞めたことで、不安な気持ちになったりすることはない。
それでも、学校は曲がりなりにもわたしに学生という社会的立場を与えてくれていた。
それを失ったわたしは、これからどうすればいいんだろう?
でも、そういう疑問はあくまで、わたしにとっての客観的なものとしてしか浮かんでこない。
それだけわたしはもう、感情というものを摩耗させてしまったのかな……?
だとしても、もうどうでもいい。

今なら、雨の日だって外を歩けるかも知れない。

万世橋の上から、神田川を覗き込んでみた。
揺れる川の水が、太陽の光を浴びてきらきらと反射していた。
濁った水面に、逆さになった秋葉原の街がゆらゆらと浮かんでいる。

この世界が間違っているなら、あの水面に映る何もかもが逆さになった世界こそが正しい世界なんじゃないか。
ふと、そんな錯覚に陥って、わたしは無意識に水面に向かって手をのばした。
それがきっかけだったのだろうか。
その瞬間、上も下も、左も右も。
あらゆる方向が消失して、世界が対称性で満たされていくのが分かった。
この世界からははっきりと見えないけれど、その先にあるイデアの海へ。
吸い込まれていく。
深く。深く。どこまでも。




――助けて、スワンプマン。

強烈なメッセージが、脳を貫いていく感覚。

あらゆる感覚器官は、もはや意味を成さないものとなっていた。
観測して、それを知識と結び付けていく作業。
偽物を本物に照らして認識する機能。
この場所では不必要なものだった。
定義に支配された概念のみが存在する此処では、知覚に観測を伴うことはない。

だから、聞こえた声は、この世界で唯一観測できるものだった。

「助けて、スワンプマン」

観測を伴うなら、それはこの世界のものではないんだろう。
だったら、きっと大切なものじゃない。
それなのに、どうしてだろう?
わたしは『それ』に興味を持った。
そして、その異質なものの正体に、全神経を研ぎ澄ませた。

再び感覚器官があらゆる事象を捉えていく。
――偽物の世界が戻ってくる。




高原の道を駈けている。
地面がいつもより近くて、周りにあるものすべてがやけに大きく見える。
『あの日』のわたしは、こんなにも低い位置から世界を眺めていたのか……ついそんな感傷に浸りそうになってしまう。
西日は厚い雲に覆われ、みるみるうちに空が暗くなっている。
それでも、構わず走り続けている。
もうすぐ、大雨が降り、そして、雷が落ちる。

『あの日』のわたしは、立ち止まることなく走り続ける。

ついに雨が降り出した。。
冷たい雨粒が、小さなわたしの身体から熱を奪っていく。
それでも、高く茂った初夏の草木を必死にかき分けて進んでいく。

そして、ついに視界が開けて、あの沼が見えた。
わたしの記憶にある『あの日』とまったく同じ位置に、『あの日』の――小学5年生の凛ちゃんがうずくまっていた。

「凛ちゃん!」

叫んだのは『あの日』のわたしだ。
わたしには、その意識の隅の方でじっと『あの日』のわたしの視界から見える景色を眺め続けることしか出来ない。

「かよちん……?」

凛ちゃんは、水面を見つめたまま弱々しく答えた。

「どうしたの?凛ちゃん!」

凛ちゃんは答えない。

「具合が悪いの?」

足場の悪い土に足を取られかけたのだろうか。
視界が大きく揺らいだ。
それでも、『あの日』のわたしは凛ちゃんのそばに駆け寄って、凛ちゃんを抱きしめた。
まだ10歳の凛ちゃんはとても小さくて、繊細で、ちょっとでも力を入れれば壊れてしまいそうだった。

雷鳴が鳴り響き、雨はますます強くなっていた。

「猫がね、いたの……」

凛ちゃんが、ぽつりと口を開いた。

「猫?」

「うん……」

次の瞬間、空が光り、その瞬間に轟音が台地を揺らした。




そうか、わたしは『あの日』雷に打たれて死んだんだ。
薄れゆく意識の中で、わたしは静かに納得した。
体中がずきずきと痛むけれど、その感覚は曖昧なものだった。
大電流に焼かれたわたしの身体は、もうあらゆる感覚を感じ取る機能すら失っていた。

スワンプマン。
日本語では『沼の男』という意味になる。
アメリカの哲学者が提唱した、「私とは何か」を問おうとする思考実験だ。
ひとりの男が、沼のそばで雷に打たれて死んでしまう。
でも、偶然にももう一発の雷が同じ沼に落ちて、沼の泥と化学反応を起こして奇跡的に死んだ男とまったく同じ姿かたちをした、まったく同じ物質構成の人間を生み出してしまう。
死んだ男の完全なコピーが生み出されてしまうのだ。
そのコピーは、死んでしまった男とまったく同じ記憶を持ち、何事もなかったかのようにその男として生活を送っていく。
男が死んでしまったことには、誰も知らない。
死んだ男と、生み出されたコピーの違いに決して誰も気づくことはない。

果たして、雷によって生み出されたコピーは死んだ男本人だと言えるだろうか?
それが、スワンプマンの思考実験。

わたしの身に起きたのは、まさに同じ現象だった。

次の瞬間、沼にもう一発の雷が落ちた。
その雷が、わたしとまったく姿かたちの同じコピー、スワンプマンを生み出した。

『あの日』から、わたしはずっとただの偽物、コピーだったのだ。
本物のわたしはこうして沼底に沈んで、死んでしまった。
そして、スワンプマンだけが残された。

世界は間違っていて、わたしだけが正しいのだと、ずっと信じていた。
でも、世界のすべてが間違っていて、わたし一人が正しいなら、それはもはや世界が正しくて、わたし一人が間違っているのと同じではないか。
そう考えると、何もかもが腑に落ちた。
最初から、ぜんぶ間違っていたのだ。
だって、わたしはただのコピーで、スワンプマンという偽物だったんだから。

真っ暗で何も見えない。
遠ざかっていく意識の中で、どうしてわたしが『あの日』の光景を再び目にすることになったのかを考えていた。
わたしを『あの日』に呼び戻したのは、イデア界でわたしが聞いた声。

「助けて、スワンプマン」

……そうか。
あれは、死にゆくわたし自身が残したメッセージなんだ。
ただのコピーでしかない偽物のわたしが生まれた意味。
間違った世界にとってのどうしようもない間違いの、ただ一つの存在意義の証明。

――もう一度『あの日』に戻って、凛ちゃんを助けてあげて。

それが、わたしがわたしに託したメッセージ。
でも、その言葉だけじゃだめだ。
その言葉のヒントだけでは、わたしは凛ちゃんを救うことが出来なかった。
もっとたくさんの手がかりを残しておかなきゃいけない。
わたしが死んでイデア界に戻ってしまうまでには、もう時間がない。
戻ってしまってからメッセージを残しても、その言葉は『あの日』に戻るためのトリガーとしては機能しないだろう。
わずかに残る最後の気力を振り絞って、わたしは次のわたしへと託すメッセージを送った。

――助けて、スワンプマン

――『あの日』の、凛ちゃんを。




「うわああああああああああ」

沼の畔では、黒焦げになった凛ちゃんの目の前で、小泉花陽の姿かたちをしたスワンプマンが泣き叫んでいた。
そして、彼女はあまりのショックに耐え切れず、間もなく意識を失い、凛ちゃんの身体の上に倒れ伏した。

第七章へ続く

拍手[0回]

PR