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躍動感を表現するにはどうすればいいんだろう……と日々考え中。

【ごちうさSS】記憶よ、もう一度 - Part 07

Part 07

 【7】

 今日の午後3時から市民会館で開かれた決起集会、リゼさんは本当は参加する予定だったんだよね?

 バレンタインデーにシャロさんがリゼさんに告白しようとする直前、リゼさんのカバンに入っていた紙が風で飛ばされる場面があったの覚えてる?シャロさんがリゼさんを突き放すようになったのって、実はその紙が原因だったんだと思う。その紙はNPASS反対の決起集会のチラシだった。違うかな?

 シャロさんはそのとき、決起集会のチラシをどうしてリゼさんが持っているかを聞いた。リゼさんの答えは『親父が主催者なんだ』ってところかな。でもそれだけじゃない。シャロさんは『万能細胞でこどもを作ることについて、リゼ先輩はどう思いますか』って聞いたはず。その質問にリゼさんはどう答えたんだろう?少なくとも、あんまり肯定的な言い方はしていないと思う。リゼさん自身も政府が万能細胞でこどもを作りだすプロジェクトNPASSに反対してるんだってことをシャロさんに伝えたのは間違いないよね?

 でも、そう言われたシャロさんはもうリゼさんには近づけなくなってしまった。

 わたし、シャロさんの昔の話を千夜さんに聞いてみたの。どうも、シャロさんはもともとこの町に住んでいたわけじゃなくて、千夜さんが小学生の頃に他の町から引っ越してきたらしい。でも、引っ越してくる前の話はシャロさんからほとんど聞いたことが無いんだって。聞いても答えてくれないみたい。もちろん、その頃シャロさんは小さかったから、あまり覚えていないというのもあると思う。でも、何も覚えていないということはないはずなんだよ。ということは、きっと話したくない事情があったんじゃないかな。その話したくない事情というのが、シャロさんの今の境遇につながってるんだと思う。

 桐間一家は、どうしてこの町に引っ越してきてこんなに貧しく暮らしているのか。

 わたしだって、今まではそんなこと考えたことなかった。けれど、そこにシャロさんが心を閉ざしてしまった原因があるのだとしたら、この問題から目をそらしちゃダメなんだよ。

 ところで、さっきまでそこの市民会館で開かれていたNPASS反対の決起集会、あんな風にみんなで反対しているけど、NPASSは15年以上前には既に始まっているプロジェクトだし、実際に万能細胞から人工的に作られたこどもたちはたくさんいる。わたしも、ちょっとだけ調べてみたんだ。それで分かったのは、万能細胞で生まれたこどもたちは、残念ながら世間からはあんまり歓迎されなかったということ。場合によっては、罵倒されたり、脅迫や差別に遭ったり……それで仕事を失って、家を追われて……、そういう事件が表に出てるだけでも何軒もあったの。

 シャロさんがこの町に来たのもそれが理由だとしたら?

 あのバレンタインデーのとき、シャロさんはリゼさんがNPASSに反対していることを知ったんじゃないか。そして、それを知ったからシャロさんはリゼさんから離れていったんじゃないか。

 最初はただの思い付きだったんだ。けれど、シャロさんがもしNPASSのプロジェクトで万能細胞から生まれたこどもなんだとしたら辻褄は合うよね?

 リゼさんがシャロさんに告白しようと決意したとき、シャロさんの方からその場所と時間を指定してきたことで、ただの思い付きは確信に近づいた。わざわざ決起集会の会場になっている市民会館がよく見える公園のベンチで、時間も決起集会が始まる30分前。決起集会に参加しようとする人たちで公民館前が一番にぎわう時間。場所だけだったらバレンタインデーのときと同じにしたかったのかも知れないって考えられるけど、時間もこの時間となるとさすがにあてつけなんじゃないかって気がしたんだ。

 そして、最後にシャロさんがリゼさんに言ったこと。

『リゼ先輩はわたしといるべきじゃない。わたしのことなんて忘れて欲しい』
 ――NPASSによって生み出されたわたしは、NPASSに反対するリゼ先輩の隣にいる資格なんてない。

『わたしのことなんかより、リゼ先輩には行くべき場所があるでしょう』
 ――わたしに告白することよりも、NPASS反対の決起集会に参加して、最後まで信念を貫かなきゃダメでしょう?

 それでわたしは確信した。わたし達がやらなきゃいけなかったのは、シャロさんがこれ以上過去のことで悩まなくていいようにすることだったんだって。そのためにはシャロさんのことも、シャロさんを生み出したプロジェクトのことだって受け入れなくちゃいけなかったんだよ。

 だけど、リゼさんはNPASS反対運動の主催者の娘で、あなた自身もNPASSに反対している。だからね……この問題は決して解かれない。

 このことに気づいた時、わたしは目を背けたかった。こうなることが予想できたから、こんな予想なんて外れてくれればって思ってた……。

 例えリゼさんがシャロさんを好きな気持ちは変わらないのだとしても……リゼさんがそれをシャロさんに伝えたとしても……でもそれじゃダメ。だって、シャロさんにとって自分が万能細胞から生まれたっていう事実は決して切り離せない、一生背負っていかなきゃいけない過去だから。だから、NPASSに反対しているリゼさんはシャロさんの隣にはいられないんだよ……。

 * * *

 リゼさんもわたしも、それから残りの皆さんも、メグさんの言葉にただ黙って耳を傾けるしかありませんでした。憶測で語られた部分も少なくはありませんでしたが、その話はあまりに筋が通っていました。メグさんの説得力のある言葉に、わたしたちが口をはさむ余地はありませんでした。

 わたしは、自分がいかに考えなしで馬鹿だったかを恥じました。シャロさんとリゼさんのことを最もよく考えていたのは他でもないメグさんだったのです。なのに、わたしはそれに気づきませんでした。それどころか、メグさんはわたしたちのことなんかに興味がないんだと思い込んで、メグさんに不信感すら抱いていました。メグさんはたった1人で考え、そしてたどり着いた悲劇的な予想を誰にも話すことなくずっと胸にしまっていたのです。

千夜「まだ、そうって決まったわけじゃないわ……。シャロちゃん本人がそう言ったわけじゃないから……」

 確かに、シャロさんが万能細胞から生まれたのだとシャロさん本人が言ったわけではありません。メグさんの思い違いという可能性もあります。でも、そう反論する千夜さんの声は力ないものでした。言ってみただけで、本当は千夜さんもメグさんの意見に同意しているのでしょう。

 夕凪が吹くにはもう遅い時間。寒空の下、強く吹いた風がわたしたちの体温を奪っていきました。

ココア「メグちゃんの言う通りだったとして……だったらあきらめるの?わたしはイヤだよ、このままシャロちゃんとリゼちゃんの仲が悪いままなのはイヤ……」

 沈黙を破ったのはココアさんでした。

ココア「……あきらめちゃダメ。頑張って……みんなで乗り越えよう?」

 その言葉は、冷え切ったわたしたちの心を少しだけ融かしました。いつだって、みんなの真ん中に立ってわたしたちの心を揺さぶるのはココアさんの一声でした。

 * * *

 今日は月曜日。リゼさんがシャロさんに振られてから丸1日以上が経ちました。

チノ「ココアさん……コーヒー飲みますか?」

ココア「うん。お願い……」

 もう夜の9時を回ったというのに、わたしとココアさんはそんなやりとりをもう10回以上は繰り返していました。わたしがひたすらコーヒーを入れて、そのコーヒーをココアさんが黙々と飲む。空になったコーヒーカップに、わたしがまたコーヒーを注ぐ。何の生産性もない行為の繰り返し。それでも、わたしたちはそれを止めようとはしませんでした。

 それくらい、わたしたちは途方に暮れていました。

 どうにかしないといけないのに、どうしていいか分からない。

 公園ではわたしたちを元気づけてくれたココアさんでしたが、本当は他の皆さんと同じように不安だったのです。気丈にふるまったところで、事態を打開する方法がなければ意味がありません。ココアさんが思い詰めるのも無理のないことでした。

 とはいえ、昨日の夜の段階ではココアさんはここまで思い詰めた様子ではありませんでした。ということは……心当たりのある原因について、わたしはココアさんに確認することにしました。

チノ「やっぱり、シャロさんが万能細胞から生まれたというのは本当なんですか?」

ココア「うん……。千夜ちゃんが言ってた」

 やっぱりそうでしたか。

チノ「千夜さんはそのこと知ってたんですか?」

ココア「ううん。昨日の夜、シャロちゃんに聞いてみたらしいの。そしたら……」

 ココアさんが千夜さんから聞いた話によると、昨夜千夜さんがシャロさんとした会話はこんな感じだったようです。

シャロ『……どこで聞いたの?』

千夜『聞いたわけじゃないわ。けど、もしかしたらそうなのかもって思って……』

シャロ『ふーん……。それで?千夜は私のことキライになった?』

千夜『そんなわけないじゃない!シャロちゃんは……私のとっても大事な友達よ』

シャロ『みんなそう言いながら私の前からいなくなったわ』

千夜『だとしても、わたしはずっとシャロちゃんの友達よ。シャロちゃんが万能細胞から生まれたんだとしても関係ないわ。ココアちゃんたちだってきっと同じことを言うはずよ』

シャロ『……無理しなくていいのよ。一人でいることには慣れてるから』

千夜『シャロちゃんは一人なんかじゃないわ』

シャロ『でも、結局は千夜だってNPASSに反対してるんでしょ?他のみんなだって……』

千夜『そんなことは……』

シャロ『じゃあ賛成なの?こういうところがいいってアピールできるところがあるなら言ってみてよ』

千夜『それは……』

シャロ『悪いけど、帰って』

千夜『……』

 話を聞いて、シャロさんは完全に心を閉ざしてしまったのだと悟りました。シャロさんの一番の理解者である千夜さんでも、シャロさんの心を解きほぐすことは出来なかったのです。

 ですが、考えてみればそれも無理もないことなのかも知れません。NPASSによって万能細胞から生み出されたこども達やその家族は、周りからひどい嫌がらせを受けることがあるとメグさんは言っていました。シャロさんもそんな目にあったことがあるのだとしたら、そのトラウマがNPASSに疑問を持っている人たちへの拒絶感に繋がっていたとしても不思議ではありません。たとえそれが恋の相手であるリゼさんや、幼馴染の千夜さんであったとしても。

 ただ、そうなると今のわたし達ではシャロさんとまともに話をすることすら難しいでしょう。

チノ「NPASSへの理解を示さない限り、シャロさんはリゼさんのことも、それにわたし達のことも受け入れてくれないと思います」

ココア「そうだね……。NPASSのことをちゃんと知って、それから、わたしたちは反対するつもりは無いって言って……シャロちゃんに分かってもらわないといけないね」

チノ「はい」

 まずは、シャロさんのことをもっとよく知らなければなりません。そのためには、まずNPASSのことをきちんと知る必要があります。学校の図書室にも詳しく書かれた本は置いてあるでしょうか。明日探してみることにしましょう。

 * * *

 わたし、保登心愛は千夜ちゃんと一緒に学校の図書室で調べものをしていた。普段本を読まないわたしが図書室にいるなんて!?ってみんなからは不思議がられてしまいそうだけど、わたしの目的はただ一つ。困っている友だちの助けになりたい。リゼちゃんもシャロちゃんもすっごく苦しんでる。このままじゃ二人の関係が冷え切ったままになっちゃう。そんなのはぜったいいやだから、わたしは今こうして放課後の図書室にいるのだ。

“国家生産能力補完戦略(NPASS)”

 わたしが探しているのは、その言葉について詳しく書かれた本だった。政府が少子化対策のために始めたものらしいから、そういう社会問題を扱った本の中に書いてあるのかな?うーん、普段本を読まないわたしではどうやって本を探していいのかも分からない。

 千夜ちゃんは、図書室に置いてある新聞からNPASSに関する記事を探して読んでいる最中だ。つまり、NPASSの最近の動きを調べるのが千夜ちゃんの役割。一方、NPASSは15年以上前に始まった国家プロジェクトらしい。なので、新しい話題だけじゃなくもっと昔のことも調べなきゃいけない。わたしが本を探してるのはそういうわけなんだけど……。

 ダメだ、自分じゃ上手く見つけられそうにないよ……。カウンターにいる図書委員さんに聞いてみようかな?

ココア「ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

図書委員「あっ、ココアちゃん?珍しいね」

 図書委員の人はクラスメイトの人だった。普段はそこまで話す相手じゃないけど、気さくで感じのいい子だから話しかけやすい。

ココア「NPASSについてちょっと調べてるんだけど、そういうのに詳しい本無いかな?」

図書委員「なにそれ!?ココアちゃんが社会問題に興味を持つなんて……」

 目を剥いて驚かれた。失礼しちゃうよ!

図書委員「うーん……最近話題だし、新聞にはたくさん載っているよ」

ココア「そうだけど、もっとこう……昔のこととかが知りたいんだよ」

図書委員「うーん、そういうことならこのあたりがお勧めかな?私も中身までは読んだことないからよく分からないけど、たぶん少しはNPASSのことが載ってると思うよ」

 そう言って、図書委員さんは何冊かの本の名前を挙げてくれた。

ココア「すごい!図書室にある本ぜんぶ覚えてるの!?」

図書委員「全部かどうかは分かんないけど……でも、本棚見回ってるうちにだいたいは覚えるよ」

ココア「そういうものなの?」

図書委員「うん」

 こともなく言う図書委員さんだけど、それは彼女が本が大好きだからだろう。わたしには絶対無理だと思う。

 図書委員さんにお礼を言った後、わたしは図書委員さんが挙げてくれた本のリストを片手に「政治・社会」の札がついた本棚に向かった。

 数分後、わたしはリストに挙げてもらった本を手に千夜ちゃんのいるテーブルに戻った。さっそく本をテーブルの上に並べてみる。

『高齢化社会とこれからの社会福祉』

『崩れゆく人口ピラミッド―この国はどこへ向かうのか?―』

『少子高齢化の荒波に負けない「強い」国家をつくる』

『生命倫理よりも経済を優先した国家―官僚たちの少子化問題に対する重大な誤認識―』

 うーん。しょうがないことだけど、堅苦しいタイトルのばっかりだよね。でも、こういう本読んでたら頭よさそうだしちょっとカッコいいかも?

 にしても、こういう本を調べるときはまずどこから調べれば良いのかな?とりあえず一冊目『高齢者社会とこれからの社会福祉』の目次を広げてみる。うーん。それらしい項目は見つからないかな?とりあえずめくってみると「はじめに」のページに行き当たった。そういえば、こういうページにだいたいその本の概要みたいなことがまとめられてた気がする。とりあえず読んでみると、どうも医療、介護、生活保護、社会保障の財源と増税の話とか、そのあたりの単語が多く出てきてきた。どれもNPASSの話題とはあんまり関係なさそうだ。わたしは、この本を閉じて次の本に行くことにした。

 『崩れゆく人口ピラミッド―この国はどこへ向かうのか?―』の目次を見ると、NPASSについて触れられているページがあることが分かった。これはあたりを引いたみたい。やった!そのページを開いてみると、「国家生産能力補完戦略(NPASS)による少子化対策」という章があり、こんな文章が書いてあった。

 政府は、少子化により不足した労働力を補うため外国人労働者を活用する政策を進めてきたが、一方で海外に依存せず国内で労働力を賄うための基盤整備を最重要政策課題と位置づけ国家生産能力補完戦略(National Production Ability Suppliment Strategy:NPASS)を推進してきた。NPASSは、万能細胞に外部的な刺激を与えて分化を促進することで胚を形成し、専用の容器の中で胚を成長させることで完全に人工的に新たな子どもを生み出すという画期的なプロジェクトである。精子の提供が不要で、胚の成長に母体も不要であることから工業製品を工場で生産するのと同レベルで新たな子どもを計画数通り生み出すことができるため、人工バランスの是正に非常に強力な効果を発揮するものとして期待されている。すでにプロジェクトは本格稼働を始め、初年度は300人の子ども達が世に送り出された。

 しかし、NPASSに対しては生命倫理に反するとして反対意見も多く、まだまだ国民に受け入れられていないのが現状である。また、NPASSによって生まれた子ども達の人権保障などに関しては法整備もまだまだ不十分で制度上の課題も山積している。NPASSは、現状存在する中で最も強力な少子化問題への打開策であり、労働力不足の突破口として重要な役割を果たすのではないかと期待が寄せられる。だがそのためには、国民的議論を深める中でNPASSおよびそれによって生まれた子ども達への理解を浸透させることが必要であろう。


 文章はここで終わりで、次のページにはもう別のことが書かれていた。詳しいことは抜きにして常識的なところだけ書いてあるって感じなのかな……。でも、正直政治のことなんて全然知らないわたしにとってはこれくらいでも十分ありがたい情報なんだけど。

 次に『少子高齢化の荒波に負けない「強い」国家をつくる』を開いてみた。最初の「はじめに」のページを読んでみると、どうもこの本は、生活水準が高く文化の発展した幸福度の高い国を作るためには「衣食住の充実」と「安全保障」という二つの軸がちゃんとしてなきゃ絶対にダメで、その両方を支えるものは「経済力」だよ、ってことが書いてあった。そして、この本には少子化によって傾きつつある経済力を立て直すにはどうすればいいかや、問題の根本である少子化に歯止めをかける方法が書いてあるとのことだった。目次を見ると、やはりNPASSのことが載っていた。この本も当たり。

 NPASSのページは、さっきの本と違ってかなりページ数を使って書かれていた。全部読むのはちょっと大変そうかな……。とりあえずパラパラと目を通してみることにする。さっき読んだ本と同じで、最初の方のページにはNPASSが少子化対策を打開するとても有効な方法だということが書かれていた。さらにページをめくってみると、気になった記述があったのでそこに目が留まった。

 万能細胞から子どもを生み出すことの特筆すべき利点は、元となる遺伝子の選定や近年盛んに研究が進んでいる遺伝子操作によって生まれてくる子どもの先天的な性質や能力を随意に出来るという点である。これは、人工的に子どもを生み出す技術ならではの利点である。実際には、遺伝子についてはまだ未解明な点も多く子どもの特質を十分に制御出来ているとは言い難いのが現状だが、既に性別を生み分ける精度は90パーセントを超えており、着実に技術は進歩しつつある。

 当然、生み出す子どもの数を制御出来たり、まして遺伝子操作まで行うとなれば生命倫理に反するという批判も多く耳にする。暁新聞が実施した世論調査では、万能細胞から子どもを生み出すことに反対だと回答した人の割合は68パーセントに対し賛成と回答した人の割合は11パーセントにとどまり、世論はまだまだ人工的に人を生み出すということに懐疑的である。生命を人間の思うがままにするのは生命倫理に反するというのである。しかし、それを言い出せば医学という学問そのものが生命倫理に反していると言えるだろう。何も処置をしなければ死んでしまう患者を治療する行為は人の寿命を変えていることであり、人間が生命に手を加えることに他ならない。不老不死とは古来からの人間の欲求であり、実際アンチエイジングに手を出す人も多いだろう。医学以外の領域でも、病原菌やウイルスを排除したり、害虫を殺したりするのは人間が生命に手を加えている事例の一つであるし、牧畜によって食用肉を生産することもまたその一つである。そもそも、生命を思うがままにしたいというのは人間が生きるための根源的な欲求ではなかったか。その表れが医学であり、薬学であり、牧畜なのである。それを今更万能細胞の話になった途端やれ非人道的だ、やれ生命倫理に反するなどと言い出すのはあまりにも矛盾した主張とはいえないだろうか。教義として一貫して医療行為を否定する一部の宗教ならともかく、普段平然と医療行為を受けている人間が万能細胞による技術に真っ赤になって非難している様はあまりにも倒錯的だと言わざるを得ない。


 なるほど、そういう考え方もあるんだね。言われてみれば、いまは延命治療とかほかにもいろいろ生命に手を加える技術があるのに、子どもを生み出す技術だけダメっていうのもおかしい気がする。さらにページを進めてみると、こんなことも書いてあった。

 現代では、生涯独身を貫く人も増えており、そうした生き方が社会的にも認められつつある。また、同性同士の婚姻を認めるかどうかの議論も活発化しつつある。しかし、これはあくまでそうした人々がまだ少数派にとどまっているからこそ認められているわけで、仮にも誰もがこのような選択をするようになった場合、社会が破たんするのは明らかである。従って、現状では生涯子どもを作らずにいるというような生き方が普遍的価値をもって認められることはあり得ない。結婚して子どもを産み家庭を築くことこそが至高であるという考え方が未だ支配的なのもそのためである。ところが、万能細胞から人工的に子供を作ることが出来るとなれば事情は大きく変わってくる。出生率の低下がまったく問題にならなくなるからである。また、子どもが欲しくても身体の問題で作れないといった特殊な事情を抱える家庭であっても、万能細胞から生まれた子どもの親権を国から移譲してもらえば子どもを持つことが可能になる。NPASSが非人道的であるといった批判は的外れで、それどころかNPASSによって初めて真の意味で多様な生き方が認められる社会が実現するのである。

 多くの人がそうだと思うけど、わたしも子どもを人工的に作るのってなんとなく抵抗があった。だけど、これを読むとそれこそが偏見なのかもって思えてくる。メグちゃんもこんなこと考えてたのかな?いや、メグちゃんはただシャロちゃんの気持ちを考えてああいうことを言ってたのかも知れないけど。

 NPASSに賛成している人の意見は大体分かったので、最後の本『生命倫理よりも経済を優先した国家―官僚たちの少子化問題に対する重大な誤認識―』に取り掛かることにする。タイトルからしていかにもNPASSに反対するようなことが書いてありそうだけど……。他の本と同じようにまずはじめにのページを見てみるとこんなことが書かれていた。

 政府は、少子化問題をあくまで老年人口と生産年齢人口のバランスが崩れることによる社会保障制度の破綻や、国の経済力後退の問題として取り扱ってきた。しかし、それらは少子高齢化の結果現れてくる表面的な問題の一部に過ぎない。出生率が低下するということ自体が異常事態であり、いま我々が本当にすべきことは、そのような事態を招いた現代社会の在り方そのものを問うことである。子孫を残していくということは生物としてのごく自然なあり方であり、かつては人間の文化もそれと調和するように築かれてきた。しかし、現代社会では人間の生物としての自然なあり方そのものが脅かされているのである。このような事態を、経済や社会保障だけの問題に矮小化してはならない。

 さっきの本を読んだ後だとなんだかこっちの本を書いた人が偏見でものを見てるんじゃないかって感じもする。けれど、目次を見た限りではこの本はNPASSについて大々的に扱っているみたいで参考にはなりそうだ。このままパラパラめくってみることにする。すると、NPASSの歴史に触れたページを見つけた。

 政府は、生産年齢人口に当たる層を補うことで少子化問題を解決しようと国家生産能力補完戦略(National Production Ability Suppliment Strategy=NPASS)を立ち上げた。NPASSには第一次計画と第二次計画が存在しており、現在進行している万能細胞を用いるプロジェクトは第二次計画にあたる。一方、NPASS立ち上げ時に打ち出された第一次計画は、万能細胞技術ではなく人工知能(AI)を搭載した人型ロボットを製造するというものになっていた。つまり当時の政府関係者は、人間の言葉を話し、人間の生活に溶け込めさえすれば生命を持たない機械であっても人工バランスの偏りを是正するに足ると考えていたのである。これは、就労可能な年齢層の人々をただの労働力としかみていないからこその発想である。政府は、NPASS第一次計画に対し立ち上げからの15年間で5兆円を超える莫大な予算を投入した。しかし、この計画は15年目で頓挫することになる。詳しい経緯は後に述べるが、いずれにせよ第一次計画に失敗した政府は第二次計画への移行を図った。第二次計画では、よく知られているとおり万能細胞から人工的に声明を生み出すというこれまでに輪をかけて非人道的な技術を投入することになった。この計画の恐ろしい点は、生命を人間の意のままに操ろうとしている点にある。実際に、政府はこの計画の利点の一つとして遺伝子操作による優性個体の生成が可能になるという点を挙げている。政府にとっては、機械であるロボットも万能細胞から生まれた生命も任意に操作する対象に過ぎないという点で変わりはないのである。機械と生命を同一視しているという観点からも、NPASSがいかに危険なプロジェクトであるかが分かるだろう。

 これは新情報だった。もともとNPASSは万能細胞じゃなくて人型ロボットを作る計画だったんだ。それが上手く行かなかったから代わりに万能細胞技術を使おうとした……。ってことは、政府は万能細胞から生まれた子どもをロボットと同じように考えてるってことだ。それは確かに怖い。

千夜「どうかしら?そろそろ帰らないといけない時間だけど……」

 千夜ちゃんがわたしの方を覗き込んでいた。

ココア「あれ?もうそんな時間?」

 顔を上げて窓の方を見てみると、確かに外は暗くなっていた。

ココア「この本借りていこうかな」

千夜「借り方分かる?」

ココア「バカにしすぎじゃない!?」

 確かにここで借りたことはないけど……。

 本を借り終わって図書室を出た後、お互いに分かったことを簡単に情報交換した。千夜ちゃんが調べてくれたところでは、NPASSに反対するデモは全国でたびたび起こっていて、それを扱った新聞記事も沢山あったらしい。それに、少し古い記事まで遡ったら、NPASSで生まれた子どもたちや家族に対する暴力事件を扱った記事もいくつか見つけたと言っていた。メグちゃんが言っていたとおり、そういう子どもたちや家族が差別されるのは珍しくなかったみたいだ。

 * * *

チノ「ちょっといいですか?」

 夕ごはんのあと、わたしはチノちゃんの部屋に呼ばれた。

チノ「今日、NPASSのことを学校の図書室で調べてみたんです」

ココア「チノちゃんも!?」

チノ「もしかしてココアさんもですか?」

ココア「うん。本も何冊か借りてきたよ」

 そう言って、チノちゃんの前に本を広げる。

チノ「すごい……、高校の図書室だとこういう本も置いてるんですね」

ココア「チノちゃんのところには無かったの?」

チノ「はい……、中学校じゃ難しい本はあまり置かないみたいです」

 そう言いながらも、チノちゃんは一冊の本をおずおずと取り出した。

チノ「借りてきたのはこの一冊だけです」

 チノちゃんが借りてきた本は、表紙に大きな字でこんなタイトルが書かれていた。

『命ってなんだろう?』

 その下に、小さくサブタイトルも書かれている。

『<万能細胞>って?人が人を“つくる”ってどういうこと?』

チノ「メグさんにお勧めされたんです。この本が参考になるよ、って」

ココア「読んでみてもいい?」

チノ「もちろんです」

 パラパラとページをめくってみる。内容としては『少子高齢化の荒波に負けない「強い」国家をつくる』と似ていて、それがよりかみ砕いた言葉で書かれている感じだった。

一生子どもを産まないという人もいれば、結婚はしないけど子どもは欲しいという人もいます。万能細胞から子どもを生む技術は、わたしたちにいろいろな生き方をもたらしてくれるのです。

ココア「これって大事なことだよね」

チノ「はい、わたしも読んでそう思いました」

 このことを教えてあげれば、リゼちゃんのNPASSに対する見方も変わってくるんじゃないかな。さらに読み進めると、こんなことも書かれていた。

どんな生まれ方をしたとしてもおなじ命であることには変わりません。万能細胞から生まれた命も、ほかの命と同じように尊重されるべきなのです。

チノ「確かにその通りですよね」

ココア「うん、それなのに差別する人たちがいるなんて本当にひどいよ」

チノ「やっぱりそういう差別ってあるんですか?」

ココア「そうみたい。千夜ちゃんが調べてくれたよ」

 これで、NPASSの良いところがたくさん見えてきた。これまで理不尽な差別があったことも千夜ちゃんが調べてくれている。あとはリゼちゃんを説得するだけ。

チノ「分かってくれるといいのですが……」

ココア「分かってくれるよ。シャロちゃんのためだもん!」

 一時はどうしたらいいんだろうって途方に暮れてたけど、やってみると答えは意外と簡単に見つかるものだ。これでやっと全部が元どおりになる。そして、リゼちゃんとシャロちゃんは幸せになれる。そう思えた。

 * * *

 NPASSの良いところはチノちゃんが借りてきた『<万能細胞>って?人が人を“つくる”ってどういうこと?』にだいたい書かれていた。あれくらい分かってればわたしたちにとっては十分だと思う。だから、わたしは自分で借りてきた本の中身をチノちゃんにわざわざ見せることはしなかった。

 けれど、個人的にはNPASSがもともとAIを使ったロボットを作るプロジェクトだったというところがちょっと気になっていた。そのことが書いてあった『生命倫理よりも経済を優先した国家―官僚たちの少子化問題に対する重大な誤認識―』を開いてみる。

 寝る前に本を読むなんていつ以来かな、なんだかちょっと特別なことをしてる気分になる。わたしは気になるページを開いた。

 少子化高齢化が社会問題として取り上げられるようになったのは今から40年以上前の話になる。当時は人工知能(AI)の研究が盛んに行われており、これを搭載した人型ロボットの開発にも注目が集まっていた。一方で、人型ロボットの応用先としては介護現場が候補として挙げられていた程度で、それ以外の応用についてはあまり検討がされておらず、開発コストの割にリターンの少ない研究分野と考えられていた。そんな中、出生率の低下により不足した子どもの頭数を人型ロボットで補うという案が政府より提示された。

 この提案は人型ロボット技術の画期的な応用として注目を集め、経済界や学術機関を中心に大きな支持を得ることとなった。これを受け、政府は国家生産能力補完戦略(NPASS)の立ち上げと、特別予算の投入や専門の研究所設立を含む一連の計画を策定した。計画の施行に係る関連法案は国会にて与党を中心に賛成多数で可決され、翌年から研究所での研究が開始された。


 人型ロボット、それはどんなものだったんだろう。人間の子どもの代わりに作るんだから、やっぱり人間と区別できないくらいのものを目指してたのかな?なんだか夢がある。ホントにそれでいいの?って疑問もあるけど……どっちにしたって失敗した計画だ。

 研究所設立の3年後、研究グループは人型ロボットの試作第一号機を製造した。この個体は各種性能試験を行う目的で製造されたもので、なかでも人工知能の性能検証を目的とする試験が数多く行われた。

 わたしは、自分でも不思議なくらい夢中になって本を読み進めた。そして、ある一文を読んだところでわたしは目を見張った。これは……?わたしには、それがただの偶然だとは思えなかった。

 そして、さらにその先のページにはこの研究の闇が書かれていた。

Part 08に続く

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